「安ければ買う」は、「安いから買ってもらえる」を生む
少し前に、ミスドのタダドーナツを求めた人が長蛇の列をなしたことが、ネット上で取り沙汰されてましたね。
たかがドーナツ2個のために、どれだけの時間を費やしているんだ!コスト意識がなさすぎる!みたいな批判が多かった気がします。
このとき気づいたのは、
日本人にはモノやサービスが安いこと(できればタダ)が、最っ高に嬉しいんだなということ。
何よりも大事なんだなと。
その裏返しとして、モノやサービスの価値を適切に判断できない人が多いなぁと感じることもあります。
消費行動で形成されたそういう価値観は、働き方にも反映されています。
安いこと=いいことという思考様式は、
こんなに高い値段じゃ誰も買ってくれない、という強迫観念を生みます。
その脅迫観念が買い叩き、ひいてはサービス残業などを助長しているのではないかと推測します。
(あるいは、日本人の謙虚さや自信のなさが、
人件費の過小な見積もりにつながって、過小な価格形成がなされ、
伝統的に消費者が当たり前にそれを享受してしまったためなのかもしれない。
ニワトリが先か卵が先かはわかりませんが)
安いものには理由があると思うんです。
逆もまた然り。
理由があるから、相応の値段がするんです。
品質のいいモノやサービスが安く手に入ったとき、多くの人はラッキーだと思うでしょう。
そのときに少し立ち止まって考えたいのは、なぜそれが安く手に入ったのかということです。
特に、限られた予算の中で品質を高めるために、誰かが搾取されている可能性を考えなければならないと思うんです。
だれでも搾取される立場になり得るからです。
高品質低価格というのは場当たり的に生み出されることが多いように感じます。
例えば、ナイキのスウェットショップ問題など、
人件費の安い国の工場で、現地の子供まで駆り出してフル稼働させ、コストを抑えようとしました。
のちにこれが発覚し、不買運動も引き起こしました。
高品質低価格は、長期的に見れば必ずどこかにしわ寄せがいく構造になっていることがほとんどです。
このように、生産者側が将来的にリスクに晒されている以外にも、
最初は高品質低価格でも、コストを抑えすぎた結果、品質の維持が難しくなり、
食品偽装などの不正に繋がることもあります。
これは消費者側のリスクです。
総じて、過剰な「いいものを安く」という考え方は、持続可能性が乏しいと言えるでしょう。
働き方でも同じです。
サービス残業を強いるような会社は、社員がすぐやめてしまうので持続可能性がありません。
長時間のサービスを残業するような社員も、体が持たないので持続可能性がありません。
安心して利用できるものを、長期安定的に供給することが、社会が負担するリスクやコストを最小化する方法なのではないか。
雑感ですが、ふと思いついたので書き留めておきます。
おわり