サカモトの北欧移住ブログ

駆け出しバックパッカー。夢は北欧移住!

多様性について

多様性に対する寛容さ。

 

例えば、日本とアメリカを比べたとき、

後者は個人間の違いにより寛容です。

人種、民族が多すぎてそうならざるを得ないから。

お互い違うのが当然。

 

日本は一般的に逆ですよね。

これは言い尽くされたことですが。

みんな同じでみんないい。

 

ただ、最近ではいろんな外人さんが日本で働くようになってます。

 

お、日本も外国人たくさん受け入れて多様性に寛容な国になりつつあるな、なんて思ってました。

 

が、

台湾の安宿で知り合ったカナダ人のバッパーさん。

f:id:channel81:20161031002530j:image

以前、中国地方で中学生に英語教えてたらしいんです。

 

彼は日本の教育や職場環境にいくつか疑問を抱いてました。

そのうちの一つが、職員室で孤立する外人の先生の話。

 

学校の先生は忙しいらしく、部活や雑務で毎日夜8時9時まで働くのが普通。

一方、彼は4時とか5時に帰っていいと言われていたらしいです。

 

外国人は残業しない文化だから、という理解があったからでしょうか。

 

ちょっと違いました。

 

彼には言いたいことがたくさんあった。

この学校の教育を良くしたいという気持ちがあった。

 

ただ、そのコミットしようという意思が尊重されることはなく、

あなたは外人さんだから、英語だけ教えてくれればいい、という感じ。

 

定時で帰っていいから、口出ししないでくれという雰囲気だったらしいです。

 

誰も話を聞いてくれず、日本人の先生と同僚という感覚は失われていったといいます。

そして、彼は一年ほどで日本を去りました。

 

この職員室のいわゆる治外法権は、長崎の出島を思わせるものがあります。

 (職権がどうのこうのとかはよくわかりませんが)

 

真に受け入れること、折り合いをつけることをしていない。

ただ、内側と外側を作って、お互いに干渉し合わないようにしようね、ってことかな。

 

ここで、僕が考えたのは、

日本人も多様性に以前よりは寛容になったけど、

結局未だに、"みんな同じでみんないい"のだろう、と。

 

多様性を受け入れて、ハイブリッドな何かを作ろうとかじゃない。

内側と外側の線引きを明確にして、内側を守ろうとしている。

 

内側と外側を作るってことは、潜在的に敵と味方を作るのと同じです。

 

敵と味方だと、どっちが正しい間違っているという二者択一的な結論しか得られない。

あんまり生産的な結末を迎えないことを歴史が証明していますよね。

 

内側と外側。これを産み出す要因てなんでしょう。

 

恐怖じゃないかと思うんです。

 

恐怖はどこから来るのか。

 

それは無知です。

知らないから恐いんです。

 

今まで知らなかったもの、自分と違うものにたくさん触れる。

やったことないことやってみる。

 

そうすることで、恐怖心は減るかもしれません。

ああ、やっぱり恐い思いした…ってこともあるかもですが。

 

内側と外側を作ってるうちは、多様性を尊重するってことにはならないでしょう。

 

なぜなら、内側では相変わらず"みんな同じでみんないい"が強要され続けるから。

 

内側と外側というわけ方ではなく、自分とそれ以外というきめ細かい認識が求められると僕は考えます。

 内側にいる人間だって一人ひとり違うってことに目を向けないと。

 

まず、内側と外側を作る壁を壊す必要があって、

 

それに必要なのは、(若干飛躍しますが)

好奇心、フットワークの軽さ、そして語学力。

 

これが、僕が英語を勉強して世界のいろんな人と繋がりたいモチベーションです。

 

おわり